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記憶術の歴史的経緯についてF

先日、デパートで行われている宮城県物産展に行ってきました。

ずんだ、牛タンなどは勿論知っていましたが、今回買ってみたのは温麺というもの、読んで字のごとく麺なのですが、そうめんのような感じの麺なのです。お店の人に聞くと夏はそうめんのように冷たく食べて、冬にはあたたかいお汁やお鍋に入れて食べるそうです。
さっき晩御飯の時にお鍋に入れてみましたが、うどんよりも麺が固めでさっぱりした味をしているのでお鍋に合いました。次回は冷たいお汁につけて食べてみようと思います。

さて今回も、記憶術とはどんな物かについて紹介していきますね。

19世紀以降、すっかり丸暗記が勉強法の主流になってしまっていたのですが、20世紀になって再び記憶術が脚光を浴びる事になるのです。

そのきっかけは、ロシアの心理学者ルリアは、1920年から50年にかけて、とても興味深い研究を行ったのです。

その研究とは、当時の新聞記者をしていたシェレシェフスキーというラトビア生まれのユダヤ人でした。

シェレシェフスキーは他に例が無いほど強大で異常な記憶力の持ち主でした。


記憶術の歴史的経緯についてE

今これを書いている瞬間、とても寒くて部屋の温度は8度です。

昨日一日部屋を空けていたので、一日ぶりに暖房をしているのですが、一日暖房をしていないと部屋の空気は相当寒くなってしまいます。

今は昼間ですからまだいいのですが、夜に帰ってきたときなど余りの寒さに一晩中暖房したまま寝てしまいます。

私の部屋の暖房はガスが燃料なので、一酸化炭素中毒が心配なのですが....。

さて今回も、記憶術とはどんな物かについて紹介していきますね。

中世には、さまざまあった記憶術も、18世紀になると、合理主義万能の時代となり、記憶に関する研究は生物学の一部門に組み込まれる事になってしまいました。

人々の興味も、脳の記憶システムの解明に集中していったため、記憶術は人々の興味から外れてしまい、創造性を伴う技術としての記憶術は衰退して行ったのです。

19世紀には、今日の学校教育にまで色濃く残される事になる丸暗記が教育システムの基本となりました。


記憶術の歴史的経緯についてD

お正月も終わり、年末年始の宴会シーズンも終ったこのごろ、皆さんは食べ過ぎで体重が増えすぎていませんか?

ダイエットをこの頃から始める人も多いと聞きます。

どうせダイエットをするのなら始めから食べなければいいのですけど、そんな事は分かっていながら食欲を抑えるのは難しいですね。

さて、今回も記憶術の基本について書いています。

中世には、この記憶術を利用してスコラ哲学者達が、宗教や倫理学の授業を行ったそうです。

またルネッサンス期には、カミッロやブルーノなどの記憶学者が登場しました。

カミッロについて特徴的なのは、記憶術と宗教を結びつける『記憶劇場』という記憶術を考案しました。

記憶すべきものを神々の肖像、飾り円柱に結び付けて記憶するという方法です。

イタリア・イエズス会のマテオ・リッチという16世紀末の宣教師の生涯を描いた『マテオ・リッチ、記憶の宮殿』第一章に記憶劇場の記述が残されています。

1995年に平凡社から『マテオ・リッチ、記憶の宮殿』(スペンス)というタイトルで出ています。


記憶術の歴史的経緯についてC

今回も記憶術の基本について書いています。

『ヘレンニウスに与える修辞学書』という専門書があります。記憶力を鍛錬するための法則を精緻に論じています。内容は、『膨大な記憶をしようと思うなら、数多くの「記憶の場」(ローカス)を用意する必要があります。そして、それらの場所は連続している事が重要です。それらをその順番で記憶するのです。そうする事によって、一連の場所のうち、何処から始めたとしても、正順・逆順のどちらにでも進められます。』

『場(ローカス)になるのは、簡単に連想が出来る場所、例えば、自宅、アーチ門、街角、柱間などです。ライオン、ワシ、馬などと言った種族の記憶をする時には、生き物のイメージを、ハッキリと決まった場(ローカス)にそれぞれ置かなければいけません。』
(Cicero: AD HERENNIUM Harvard- LOEB CLASSICAL LIBRARY 207ページ〜225ページ)

また、物と場所を結びつけるためには、出来る限り突飛な連想が必要とも唱えられています。


記憶術の歴史的経緯についてB

記憶術の基本について書いています。

前回は、歴史的に初めて、記憶術について書かれた本、キケロ『弁論家について』では、スコパス家で行われた宴席の際に起こった事故について紹介されていました。建物の崩壊により多くの人々が建物の下敷きになり、遺体が激しい損傷を受けていた為、どれが誰の遺体かが分からなくなってしまいました。

しかし、記憶力に長けていたシモニデスが生前彼らが何処に居たかを覚えていた為、損傷した遺体であっても遺体を見分ける事が出来たのです。シモニデスは記憶術が、整然とした場所の配置こそが、最も重要である事を発見した。と書かれていたことを紹介しました。

シモニデスを惨事から救った若者2人は、カストルとポリクスの兄弟神の化身でした。

このエピソードによって、シモニデスは覚えたい事柄を特定の場所に関連付けして記憶すると忘れないというローカスによる『場の記憶法』の発明者という栄誉を担っている。

古代ギリシャ人による記憶術の資料は、殆ど残りませんでした。しかし、生き残った記憶術は西暦1世紀頃ローマ人により更に発展しました。

代表作としては、キケロの『ヘレンニウスに与える修辞学書』です。

『発送論』とともに、『キケロの修辞学』として、13世紀以降は、ラテン語、フランス語、イタリア語に翻訳され、多くの学習者を獲得し、熱心に学ばれていました。


記憶術の歴史的経緯についてA

記憶術の基本について書いています。

文献上つまりは歴史上初めて、記憶術が登場するのはキケロ『弁論家について』からです。

そこには、『わたしは記憶術を最初に発明したといわれる有名なケオス島のシモニデス(Simonides)に謝辞を示したい。

こんな話がある。ある時、夕食に招かれた彼はテッサリアのクランノンに住むスコパスという大金持ちの貴族の館で、主人をたたえて習慣に従って彩りをそえる目的でギリシャ神話のカストルとポルクスに関する長い1節を吟じた。彼が書いた抒情詩を歌いました。

 すると、ひどく意地悪いスコパスはシモニデスに『約束した礼金の半分しか払わない』、『帳尻を合わせて欲しいなら、テンダレウスにいる息子たちに賛辞を書いて後の半分を受け取ってもらいたまえ』と言いました。

 そしてその後、使いが来て戸口の所でふたりの若者が待っているというから、シモニデスが席を立ち外に出てみたが誰もいませんでした。

ところが、彼が外に出た隙に、スコパスが宴会を開いていた会場から屋根が落ちて、スコパスとその親族は建物の残骸に押しつぶされて死んでしまったのです。

 スコパスの友人たちは彼らを埋葬したがりましたが、全ての遺体の損傷が酷くて、誰が誰やら区別ができない酷い状態でした。

記憶力が良かったシモニデスは彼らの居た場所を思い出してようやく、誰が誰かを判別できたので、なんとか別々に埋葬できました。この事件がヒントとなり、シモニデスは記憶術が、整然とした場所の配置こそが、最も重要である事を発見しました。』と書かれていました。


記憶術の歴史的経緯について@

まず最初に記憶術の歴史的経緯について説明します。

記憶術のはじまりは、古代ギリシャのシモニデスが始めたと云われています。修辞学の一部門としてはじまり、やがて別れていったようです。

古代ローマの元老院など、メモを禁じられていたため発達したといわれています。

現在では主に入学試験対策や資格試験対策など、受験勉強に使われています。

ざっと簡単にお話しするとこのようなものを記憶術といいます。

ここからは記憶術の概要について、お話をしていきたいと思っています。

記憶術と創造力が相反する物だと考える方が世の中には沢山いらっしゃるようですが、それは誤解です。しかし実際には『記憶術』は、2000年以上前から古代ギリシャで始まりました。

2000年以上前の古代ギリシャでは紙など筆記具が十分に流通していなかった為、ローマやギリシャの雄弁家は、記憶術に頼り、長時間に渡る演説を原稿無に盛んに行っていました。

近代科学の産みの親、ニュートンは『自分は巨人の肩に乗っていたので遠くまで見る事が出来るのだ』と言っていました。巨人の肩とは『先人の研究成果』の事を指します。

正確な知識を記憶しておく事は、創造力の阻害ではなく、想像の源泉になっていると考え記憶術の有用性を認識するのが正しいといえます。

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